【祭みたまま】黒石寺 蘇民祭 平成12年2月11,12日

★ 情報提供者:はっちゃん

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「門前の大看板」

 こんばんは はっちゃんです。

2月11日にはっちゃんは岩手県の水沢市まで行って来ました。12日の朝日新聞夕刊でも「祭には男の裸だ」の見出し、カラー写真入りで紹介された「裸の男と炎の祭」黒石寺の蘇民祭に参加してきたんです。

【本当はもう一カ所あったんですが】

 実は当初の予定は、11日の朝明治神宮で建国祭の神輿を担ぎ、昼過ぎの新幹線で水沢市へ行き、蘇民祭に参加する予定だったんです。ところが2日前になって急に仕事が入ってしまい、神輿の方はパスすることになっちゃいました。たまたま仕事の場所は埼玉県の栗橋町だったので、早めに仕事を片づけ直接蘇民祭の方に来ることにしたんです。ここんとこ神輿と仕事が重なってしまい、大島、建国祭と2カ所連続でパスをしております。次回の初午祭は絶対参加するぞ!

【こもり小屋】

藁束と炭火

 といったわけで、黒石寺についたのは午後4時少し前でした。今回は祭仲間のまつきちさん・写真専門のUさん達のお世話になって、筵掛けのこもり小屋もちゃんと陣取ることができたんです。

Uさんが蘇民祭保存会青年部のこもり小屋へ、西宮から担いできた灘の生一本を届けご挨拶。木炭を一束頂戴してから、保存会のSさんにこもり小屋の中で場所を決めてもらいます。引き続き数本の木炭を並べた上に真っ赤になった火種の木炭を置き、人数分の藁束を円形に並べ我々の場所が決まりました。Sさんの「さむいとこへ来てもらったんだから、せめてゆっくりあったっまって下さい。炭は足りなくなったら、ありますから遠慮なく言って下さい。」とのありがたい言葉でした。聞くところによればUさんは手紙で保存会、観光協会と連絡を取り合いながら段取りをとってくださったようです。

 はっちゃんは去年は参加できなかったので、蘇民祭は95年の初参加以来今年で5回目です。いつも境内の入り口付近にある会費1000円のこもり小屋にお世話になってきたのですが、今年はまつきちさん・Uさんのおかげで、参加者用のこもり小屋に落ち着くことができました。例年ならば小屋の地面は圧雪で真っ白なのですが今年は雪が少なく緑の苔と草で覆われておりました。

 6時半くらいに今宵の炭火を囲むメンバーがそろいました。栃木のまつきちさん、兵庫のUさん、福岡のSさん、北海道のIさん等々全国から参加者・写真家が集まりました。さすが全国の裸祭を歩いているまつきちさんのネットワークです。我々が陣取った小屋は地元以外の人達が集まる小屋ですが、それでもこれだけ広範囲のメンバーが囲んでいる火も他にはないでしょう。

 暖かな炭火を囲んで談笑し、酒を酌み交わし時が流れます。あわただしい都会の日常の時を離れて、ゆったりとした待ちの時間。はげしい祭の時がおとづれるまでの静かな待ち時間。清めと祈りの時間なのでしょう。火加減を見ながら炭俵(残念ながらビニール袋ですが)から炭を継ぎ足しつつ時が来るのを待つのです。

【裸まいり(夏まいり・祈願祭)】

 9時過ぎからみんなそわそわし始めます。気の早い人はもう丸裸で闊歩しています。10時からの夏まいりに備えて、支度がはじまります。裸になって白の六尺褌一本に祭足袋姿が標準的な参加者の格好ですが、女性や観光客はコートを着たままの人もいます。また上半身だけ裸の人もいます。支度を終えた人はまず庫裏へいって角灯を借ります。本来は角灯に願い事が墨書してあるのですが、はっちゃんたち借り物組は白地のままでした。黒石寺とか蘇民祭とかだけ書いてある角灯もありますし、ちゃんと厄年祈願とか家内安全、五穀豊穣等と書いた角灯を掲げている人もたくさんいました。角灯を持参してきた人も庫裏の火でろうそくに火をつけてもらうために一度は庫裏迄行きます。裸詣りは庫裏から出発します。庫裏から角灯を片手に掲げて出発。かけ声は「ジョヤサー、ジョヤサ」ですが「ジャッソー、ジャッソー」「ジャッソー、ジョヤサー」とかけている人も多くいます。裸まいりは祈願祭なのでジョヤサ(常屋作・トコシエノスマイツクル/家内安全)と蘇民祭の本[末武保政著 黒石寺蘇民祭 文化総合出版]にあったんですが。

「水垢離1」

瑠璃壺川で水垢離をとり、薬師堂(本堂)へ参拝し、さらに妙見堂で参拝してこれで一周。また瑠璃壺川の水垢離からはじめて都合3周して裸まいりは終わります。はっちゃんは今年は各周に桶3杯ずつと、川岸で警備についている親方に水垢離の写真をとってもらうために1杯。都合10杯の雪解けの川水をかぶりました。寒さを少しでもしのぐために裸同士の体を寄せ合い肩を組んで歩くのですが、けいれんのようなガタガタと小刻な体の震えは容易には止まりませんでした。昔の人は33回以上お参りをしないと争奪戦に参加させてもらえなかったそうですから、その体力・信仰心には心底驚嘆します。

 庫裏へ角灯を返しに行って、薬湯(七日七晩庫裏の竈で煮立てた白湯です)をお椀に一杯いただき、小屋へ戻って服を着て炭火にあたりやっと体の感覚がじんわりと戻ってきます。でも今年は参道に雪が全くなくどろんこの中を歩く状態でしたから足の凍えだけは例年よりちょっとだけ楽だったかもしれません。

「水垢離2」

【柴燈木登(ひたきのぼり)】

11時半鐘が鳴りひたきのぼりが始まります。「ユーユー」の声をかけながら腰を低くした信者達がゴマ殻、豆殻、柴木をはこび境内に高く組み上げられた生の松半割丸太に火をつけます。もうもうとあがる松丸太の上に上がり生木の煙をあびるのが柴燈木登です。蘇民祭参加20回を誇る東京から参加のHさんが唄う山内節もいつもの通りでした。火のついた松を片手に持って本堂まで邪気を払いに登壇する人もいます。はっちゃんは2回目に参加したときに登ったことがありますが、人間薫製状態になり喉をやられて祭りの後2〜3日も煤の混じった痰が止まらなかったことがあるので、その後は見るだけにしています。柴燈木登が行われている間に蘇民袋争奪戦の参加者受付が行われていて、今年もはっちゃんは参加者登録と同時に1000円払って紺足袋と「黒石寺蘇民祭」の朱印入りの晒しの白褌を買い求めました。

「ひたきのぼり」

【別当登、水垢離】

 一般参加はできませんので、写真を撮る人以外は小屋の中にこもり酒を酌み交わしうたた寝で時を過ごします。

 眠気と酒酔いのせいでしょうが、身を慎むべきこもり小屋で「ちょっとどうかな?」といった光景を眼にしたのは残念な事でした。「場所をわきまえろよ!」との声が飛んだのも当然でしょう。

【鬼子登(おにこのぼり)、蘇民袋争奪戦】

 「鬼子登りがはじまります」のマイクの声に促されて、ふたたび褌一丁になり、薬師堂に集まります。もうすでに裸の男で満員。「ジャッソージャッソー(邪正・ヨコシマヲタダシクスル)」のかけ声で気勢を上げています。本堂の格子に登った男のほとんどが褌もしない足袋だけの丸裸。本来はこの姿がこの祭の本来の姿なんですが、はっちゃんはまだそこまでになる勇気がありません。まつきちさんはちゃんと丸裸でした。さすが裸祭の大ベテランです。

 鬼子が登壇し、たいまつが焚かれそして消され白煙が上がり、しばらくすると蘇民袋の登場。争奪戦が始まります。おしくらまんじゅうと綱引きが全く無秩序に繰り広げられる熱い時間です。今年は押し合いの間に運良く袋の口の結び目の所をつかむことができました。最後まで約1時間半口をつかみ続けられれば一番取り主です。もちろんそんなことができようはずもなく、袋の感触を充分に味わい麻糸を2〜3本引き抜き手を離しました。拾った小間木、たいまつの燃えがら、引き抜いた麻糸を褌の前袋に納めて、さらに争奪戦に参加します。

「争奪戦」

約1時間位堂内で揉んだあと袋は本堂を出て石段を降りていきます。争奪戦の舞台は夜明けの境内へ、参道へそして境内を出て黒石寺から2キロ位も離れた田圃の中で参加者の輪がつぶれて争奪戦終了。栄光の取り主が決まります。はっちゃんは今年も袋が石段を降りきったところで争奪戦の輪から離れました。袋の口をつかめたことで今年の成果として満足することにしました。

 小屋に戻り残りの炭を全部入れて再び火を盛大に熾し体を暖め、一夜を過ごした仲間達にお別れを言い、まつきちさんの「来年もまた来て下さい」の声に送られてはっちゃんは6時半の水沢江刺駅行きのバスで帰路につきました。動き出したバスの窓から田圃につぶれた裸男の輪が見えます。争奪戦が今終わったところでした。

        はっちゃんQZM02610@nifty.ne.jpでした。




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