【祭みたまま】つつこ引き祭り(1)

★ 情報提供者:はっちゃん

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 こんばんは みなさん はっちゃんは、3月2日(日曜)表題の祭りに行っ
て来ました。福島県伊達郡保原町の厳島神社に昔から伝わる祭りです。この祭
り3年前から、毎年3月第1日曜日に行われるようになりました。
 今回の報告にはつつこ引き祭りの写真も入っていますが、この写真は保原町
役場の商工振興課のご協力を戴いたものです。有難うございました。最初にご
報告とお礼を申し述べさせていただきます。

【祭りの紀元】
 祭りの紀元は、今から二百数十年ほど前、享保年間に大飢饉があり領民達の
暮らしは悲惨をきわめた。それを見かねた、当時の領主・松平出雲守通春公が
厳島神社の境内に領民を集め種籾を分け与えたところ翌年は大豊作なった。そ
れ以来五穀豊穰を祈る厳島神社の神事として盛んになり、二百数十余年を経た
今日まで小雪散らつく旧正月に裸の若衆が引き合う勇壮な農民祭りとして伝承
されているものだと言うことです。
 またこの祭りは江戸時代には養蚕振興の祭りとなり、また街道筋であった保
原町の「市」の場所を決める祭りともなった事もあるそうです。

【つつこ】
 「つつこ」というのは写真をみていただくとおわかりでしょうが、わらを縄
で結んで丸めた巨大な作り物です。おそらくわら「つつ」に福島地方の縮小
辞「っこ」がくっついて「つつこ」になったものだろうと思います。参加者に
配られた神社の御札には「筒引祭御神符」と記してありました。
 厄年の氏子が集まって祭りの前日に作ります。つつこの芯には、3升の赤飯
が晒に巻かれて、細長くはいっています。その廻りを藁束と荒縄で2重に巻い
てしっかり締め最後に腕くらいの太い藁縄(5本)で縛ってあります。出来上
がったつつこは、直径約1m長さ約2m重さ800Kgに達する巨大な藁の作り物で
す。これに200リットル以上もの熱湯をかけてから一晩神社に奉納して置きま
す。

【潔斎場】
 福島から第三セクターの阿武隈急行の電車で約20分、保原町へ着いたはっち
ゃんは、厳島神社へ参拝の後、指定の集合所「岩の湯」へ着いたのは12時少
し前でした。岩の湯は保原四丁目近くの銭湯ですが、この日祭り参加者の潔斎
場になっています。
 岩の湯前で参加の登録をすませると、「褌」「晒・半反」「袖為しの法
被」「白の祭り足袋」「鉢巻き」の参加者衣装一式が手渡されます。あらかじ
め町役場に電話で参加の登録をすませた人がほとんどですが当日の飛び入り参
加も大歓迎です。
 岩の湯では風呂に入って身を清め、世話役手伝ってもらって、褌姿になりま
す。晒半反をきっちり胸と腹にまいたあと、褌を締めます。ここの褌は相撲に
使うような厚手の生成りの木綿のもので、前垂れには「厳島神社」の文字が入
っています。法被も背中に「厳島神社」の文字が入っています。そして最後に
鉢巻きをきっちり締めて、参加者支度一丁あがり〜。
 鉢巻きは、赤、白、黄の3色あります。赤は下町、白は上町、黄は内町の三
組に分かれています。はっちゃんは黄色でした。

【つつこ引き祭りパレード】
 午後1時になって参加者は潔斎場をでて、厳島神社まで高張り堤灯を先頭に
赤、白、黄の三列に分かれて隊列を組んで行進。神社まで行って昨日から奉納
してあった、「つつこ」をみんなで運び出します。つつこは、丸太を紅白の布
で巻き井桁に組んだ架台に載せ神輿のようにみんなで担ぎ、神社から約百メー
トルの保原4丁目の交差点に入ります。
 保原4丁目の交差点は四つ辻になっており、西は厳島神社、南は上町、東は
仲内町、北は下町となっています。西、東、南に約80メートル行ったところ
に、各々「つつこ引き祭り決勝点」の横断幕がはられています。架台にのっ
た「つつこ」は順番に各決勝点の真ん中位まで行って引き帰して来ます。引き
帰すときに架台にのった委員長が、見物衆にもちを撒いてふるまいます。
 下、仲、上まで往復したつつこは、4丁目交差点までもどり、地面に置かれ
た後、参加者はコップ酒で乾杯。法被を脱ぎ捨て、褌姿になって三三七で手を
締めたあといよいよ「つつこ引き」が始まります。



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